2007年06月15日 |
芋殿様井戸平左衛門正明公の碑は425基あると言われています。
今から277年前の享保16年に60歳で大森に赴任して来たが、食べる者もなく飢えに苦しんでいる管内の惨状に驚き、幕府の許可をえず、蔵米を放出したり、富豪者より義捐金をつのり、他国より安い米を購入した。
しかしそれも一時凌ぎですぐ底をついた.。
こうしたことで飢饉の供えとして芋作りを奨励し栽培と貯蔵をさせ村人に大変感謝され名君として崇められた。
しかし、幕府に無断で年貢を免除したりしたために備中笠岡の陣屋に移され幕府の沙汰を待つうちに死去した。
こうした功績で芋殿様として、あちこちに「井戸名君の碑」が建てられた。
その数425基も建立され、県内だけでなく近県にもおよんでる。
この内江津市桜江町には21基が建立され、風の国のある長谷地区には7基も建立されています
425基のうち7基もこの風の国の近辺にあることは凄いと思います。
石見銀山との深いつながりを感じます。
また、何が大切かを教えてくれます。
ちょっと気になるのは、古いものはお寺の境内にあります
後山円正寺=井戸正明公の碑=泰雲院殿義岳良忠居士 干時 文久3年(1863年)
=右面 大森前御代官 井戸平左衛門正明
享保18年癸丑5月26日(1732年)
=左面 文久3年癸亥7月7日建之
川戸薬王寺=泰雲院殿義岳良忠居士、井戸記念碑
川越興盛寺=井戸平左衛門正明公碑
=泰雲院殿義岳良忠居士
=右面 享保18年5月26日
=左面 井戸平左衛門正明
=裏面 判読不明
これらは井戸公没後100年くらい経ってから建てられています。
他の碑は明治になって建てられています。
当時は蔵米を放出した罪人なので、すぐには建てられなかったのですが100年建ってもその功績が偉大だったので、お寺に建てられたものと思われます。
なぜ、お寺以外には建ってないのかは分かりませんが、庶民が建てるだけの費用が無かったのと、時の権力の影響もあったのかもしれません・
生きているときには評価されなくても、後世になって評価される。
まさに「当今の毀誉は畏るるにたらず」でしょうか
投稿者 : kazenokuni | Comment[0] | Trackback[] | 10 : 54 AM
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